日本の不動産業とは、いつから誕生したのか?ご存じでしょうか?

お盆休みも明け、本日からいよいよ営業再開です。
幸いなことに、特に大きなトラブルもなく、お休みを過ごさせて頂き、深く感謝を申し上げます。
さて、このお休みは…というと、気分は「江戸時代」。

わたしたちが暮らすこの「東京」とは?
現代人が学ぶべき、環境にやさしい生活術 など

江戸時代の暮らしからは、たくさんの暮らしのヒントや発見があります。
色々と紐解いてみると、東京での生活が楽しくなったり、深みが増していきます。

実は、現代の不動産が「業」として成り立つこととなったのも、まさにこの江戸時代。
古代~戦国時代まで、土地=農地のことでした。農地は、田畑を耕し、年貢を納めるための「地」。
国や村などの管理下で、農民の子は「農民」として人生をまっとうしてゆくのが、ほとんどの時代でした。
※ご存じのとおり、乱世に入ると、織田信長を筆頭とする「下剋上」の世となり、人々の生業に少し変化が出てきます。

江戸時代になると、徳川家は幕府を中心とする、幕藩体制の封建国家を作り上げました。
政治の中心は、「江戸」。
江戸城を中心とした「都市」の形成、日本橋を起点とした「交通網」の整備、地方統治のための「参勤交代」、これらのシステムがうまく機能したことによって、開府前には6万人ほどだった人口が、100万人を超す大都市へと成長を遂げたのでした。

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なぜ、こんなに人が増え、どういう暮らしをしていたのでしょうか?

それは、江戸を中心とした国家統治のなかに、「参勤交代」のシステムがありました。
各藩の大名は、定期的に江戸に出仕しなければなりません。お殿様の上府には、少なくても150~300人が同行したと言われています。人の流入とともに、交通網が発達し、陸から船から、各地の物産品が江戸に集まります。

人・物が集まると、生まれるのが「食」であり、「職」です。
日本橋界隈には、魚河岸、瀬戸物問屋、薬問屋、神田には青物市場などの「市」が次々に誕生していきます。
それに伴い、地方で貧しい暮らしをしていた農民たちが、自然と江戸に集中し、町人(商人)の街として発展をしていきました。人口は増加の一途をたどるものの、江戸の土地にも限りがありますので、庶民は狭い土地に密集して暮らすことになります。

そして、ここで出現するのが、“「長屋」=賃貸”です。

江戸時代に流入してきた商人は、やがて町人となり、豊富な資金を持つようになりました。
すると、町人地では「沽券」と呼ばれる土地権利証によって、土地を所有するものが出て、不動産業が誕生します。
土地を所有する町人が「地主」となり、その土地を借りて、家を建てるものが「家主」となり、江戸での労働者の住まいとなる「長屋」を建て、賃貸するようになります。

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そこで雇われたのが「家守(やもり)」。俗に大家と呼ばれています。
大家さんというと、家主さんのイメージが強いのですが、江戸時代の大家さんは、「不動産管理人」のことを指します。入居契約から建物の管理、店子からの賃料の徴収を請け負い、仕事先の世話などを行いました。また、消防・自警団などの秩序維持から町政の運営に至るまでの、町役人としての仕事大切なお役目でした。

当時は、空き店子は「大家の恥」となるため、空室対策にも余念がなかったと言われています。

わたしたちの不動産管理としての生業(なりわい)は、不動産業の誕生とともにありました。
プロパティマネジメント(入居者管理)、テナントリテンション(入居者満足度の向上)など、最近の不動産賃貸経営は、アメリカを手本とすべきと言われることが多いですが、実は、不動産賃貸経営の神髄こそは、この江戸時代の長屋にこそあるのではないか?と私は思いました。

テナントリテンションの為の「パーティー」や「更新時の商品券プレゼント」よりも、日頃の連絡のやりとりや町に対する貢献の方がよほど大切な気がします。

歴史を知ることで、仕事にまた新たな責任と誇りが持てるようになりました。
「家守」として、「大家」として、今できることをコツコツ積み重ね、空室のない「管理」を目指して、精進してまいりたいと思います。

皆さんもぜひ、生業(なりわい)を紐解いてみてはいかがでしょうか?
そこには、現在のお仕事の再発見とさまざまなカギが詰まっているようです。