元赤坂の歴史を探る。

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港区元赤坂。
1丁目は、赤坂見附駅から外堀通り・青山通り・赤坂御所に囲まれた、約0.09キロ平方メートルの小さな三角地帯。
2丁目は、東宮御所をはじめとする、皇室関連施設が集合する赤坂御用地が、主な領域を占めています。

さて、ノヴェルも事務所を構える「元赤坂」。
一度お越し頂けると、きっと感じて頂けるであろう、都心とは思えない清々しさと精神的な豊かさ。

鳥のさえずりと緑に囲まれ、たまに鳴り響く豊川稲荷の鐘の音。
すこし歩くと、ネオンが輝く赤坂の繁華街なのに、ここはまったくの別世界…。

日本橋や浅草とはまた異なった静かな江戸風情を感じてしまうような、そんな土地です。
前回は、いま現在の元赤坂事情をお話させて頂いたので、今回は歴史を紐解いてみようと思います。

お城の外堀からすぐ、江戸城からもほど近い、この赤坂地域。
きっと有力な御家人の武家屋敷が並んでいただろう、と心躍らせながら、さかのぼってみると…

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なんと、八代将軍徳川吉宗の登場まで、お堀の西側は池の補強の目的で、桐畑が広がり、
現在の青山通り付近は、桑畑や田畑が広がる静かな田園風景であったと言われています。

江戸時代、紀伊徳川家の広大な敷地があったのがこの赤坂。
ちょうど、赤坂御用地が、赤根山と呼ばれる茜の栽培地となっており、丘陵になっていました。
その上り口の坂を「赤坂」と呼んだのが、地名の由来になっています。

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その紀伊徳川家のお膝元として、もっとも古くより開けたのが、ここ元赤坂町。
現在の千代田区永田町あたりに、豊島郡赤坂症下一村という集落が、南伝馬町(現在の中央区京橋)の伝馬役に対して、昼夜限らず人馬の御用に励んだ褒美として、徳川家康の関東入国後にこの土地を与えられたと言われています。また、この地域の僅かな町人町のひとつでした。

当時の呼び名は、赤坂新傳馬町。
後に、現在の青山通りに面する表通りを、赤坂表伝馬町、裏を赤坂裏伝馬町と呼ばれていました。

明治維新以降、異国の文化を取り入れながら、富国強兵の下、時代は劇的に変化をしていきます。

明治37年には、東京都電が開通し、青山通りに路面電車が走るようになりました。
このあたりは、長屋が立ち並び、住宅地として栄えていたようです。

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しかし、太平洋戦争によって、焼け野原となった東京ですが、
奇跡の復興を経て、時代は、高度経済成長へと向かっていきます。

東京オリンピックに向け、高速道路や地下鉄の整備が急ピッチで進められ、元赤坂にもビルが建設されました。
時代の変化によって、住宅は次々にビルへと変貌を遂げ、さまざまな企業が参入し、日本を代表する大企業へと成長・発展を遂げています。

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そして、当時のビルは、現在建て替えの時期を迎え、また街が大きく変化しようとしています。
これからの元赤坂をどのように創造していくのか、地域の方々とのコミュニケーションを高めながら、
よい街づくりに貢献していきたいと思います。

参考資料<引用>江戸切絵図